大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)5503号 判決

原告 中村彦衛 外七名

右原告ら八名訴訟代理人弁護士 加島宏

被告 大阪府

右代表者知事 岸昌

同 岩永剛

同 石川治

右被告ら三名訴訟代理人弁護士 鎌倉利行

同 桧垣誠次

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告中村彦衛に対しては金五六五万六五五四円、その余の原告らに対しては各金一七七万五〇六三円及びこれらに対する昭和五八年七月三一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告中村彦衛(以下「原告彦衛」という。)は亡中村文子(大正四年五月一五日生。以下「亡文子」という。)の夫であり、その余の原告らは原告彦衛と亡文子の間の子である。

(二) 被告大阪府は大阪府立成人病センター(以下「センター」とい。)を経営する。

(三) 被告岩永剛(以下「被告岩永」という。)及び被告石川治(以下「被告石川」という。なお右被告両名を「被告医師ら」ということがある。)は、いずれも被告大阪府に雇用され、センターに勤務する医師である。

2  診療の経過

(一) 入院と同時に、亡文子の主治医は被告石川と決定され、以後同被告が被告岩永の指導の下で診療の中心となった。

(二) 被告石川らは亡文子を胆のう癌の疑いありと診断し、手術を決定した。亡文子は以前から糖尿病を患っていたため、被告石川らは手術に先だってインシュリン等を投与し、糖尿病のコントロールを行おうとした。

このような準備の後、昭和五八年七月五日午前一〇時から午後五時三五分にかけて被告医師らの執刀によって手術が行われた。手術の内容は、肝右葉前下区域部分切除・肝左葉内側区域部分切除・両肝管及び総胆管切除を伴う胆のう摘出とリンパ節郭清術、両肝管・空腸ルーY型吻合術であって、自流式のドレーン(排液管)を〈1〉肝管・空腸吻合部左、〈2〉同右、〈3〉左肝管内、〈4〉右肝管内に四本挿入留置した(以下各部位に挿入されたドレーンを「〈1〉のドレーン」などという。)。

(三) 前記の手術の直後にドレーンを挿入した肝管空腸吻合部から出血があったため、同日午後八時一〇分から三五分にかけて、被告石川によって、滅菌綿の挿入と止血剤注入の手術が行われた。ドレーンはそのまま維持された。

(四)(1)  前記(二)(三)の手術が行われた前日から、抗生物質が毎日投与されたが、白血球数は別紙白血球数値表1〈略〉記載のとおり、術前の二倍前後にはね上がったまま、抗生物質変更直後の一時期を除いて一向に減少せず、また体温も別紙体温表記載のとおり、手術後正常値に復することがなく、感染防止対策は効を奏さなかった。

(2)  また同手術後の血糖値は、別紙血糖値表〈略〉のとおり、終始正常域の最高値(一一〇ミリグラム・バー・デシリットル、以下mg/dlと略称する。他の単位も同様略称する。)の二倍以上の数値を示しており、手術後の糖尿病コントロールも何ら効果がなかった。

(3)  被告医師らは前記手術後極めて早い時期から、積極的に様々の人為的な腸ぜん動促進措置をとったが、亡文子の腸ぜん動は活発化せず、減弱したままであった。

(4)  四本のドレーンのうち、〈4〉のドレーンは先端が空腸内に抜け落ちたために全く機能せず、〈1〉のドレーンの先端も左上方に移動していたので機能が悪く、〈2〉のドレーンも何らかの理由で七月一〇日以降機能しなくなった。これらドレーンの排液状況は別紙排液量表〈略〉記載のとおりである。このためもあって、両肝管と空腸の吻合部は縫合不全を起こし、ここから腹腔内に多量の胆汁が漏出するようになり、これが原因で亡文子は腹膜炎を起こした。そのため亡文子は同月八日ころから下腹部を中心とする強い痛みを訴えるようになり、腹膜炎の悪化に伴い同月一六日ころからは発熱、頻回の浅呼吸、下腹部膨隆、腸音消失、腹部激痛等の症状を呈し出した。発熱及び白血球数の推移は別紙体温表、同白血球数値表1〈略〉記載のとおりである。

(五) 同月二〇日、被告医師らは縫合不全と腹膜炎の原因除去のため緊急手術を行うことを決定し、同日午後二時四五分から午後四時三〇分にかけて被告医師らの執刀で手術が行われた。手術内容は、第一回の手術部位を開腹して、腹腔内に貯留している膿、胆汁、腹水等の滲出液を排出し、腹腔ドレナージ(排液)を増加し、更に右胸腔穿刺術及び胸腔ドレナージを施すというものであり、手術後一一本のドレーンが挿入留置された。

(六) 第三回の手術後、亡文子は極端に衰弱し、次第に体力、気力を失っていき、同月二八日、突然吐血及び下血してそのまま危篤状態に陥った。その後輸血が続けられたが効果はなく、同月三〇日午後一時二五分に肺水腫を直接の原因として死亡した。

3  被告大阪府の使用者責任並びに被告医師らの不法行為責任

(一) 被告大阪府の被用者である被告医師らはセンターでの業務執行中次の過失診療を行った。

(二) 術後縫合不全及び腹膜炎を発生させた過失

亡文子は老人であって手術後に縫合不全、腹膜炎のような深刻な合併症を起こした場合、処置を誤れば生命に危険を生ずることは医師にとって容易に理解できたことであり、しかも亡文子は術前から糖尿病を患っていて、このような患者は手術後に縫合不全を来たしやすく、縫合不全が生じた場合胆汁漏出により腹膜炎を起こす可能性があることは消化器外科の医師であれば容易に予想できるのであるから、第一回の手術を担当する医師としては、縫合不全の予防のために、糖尿病のコントロール、感染防止対策、ドレーンの機能維持等につき最大限の注意を払う義務があった。

しかるに、被告医師らは、糖尿病コントロールのためインシュリン等を投与はしたが、亡文子の血糖値は前述のとおり常に高く尿糖値も同様であり、有効にコントロールはできておらず、感染防止対策にしても、漫然手術の前日から抗生物質を投与したにとどまり不十分であって、そのため術後に白血球数が高値を示し続けた。ドレナージについては、ドレーンの先端の移動等の理由によって四本のうち三本までもが完全に機能しない状態であり、これらは被告医師らの過失によるものである。このような被告医師らの過失により、亡文子は縫合不全を来し、ついには深刻な腹膜炎を引き起こした。

(三) 縫合不全の発生と腹膜炎の発生に気付かず、または軽視してこれを放置した過失

仮に縫合不全が起こったのは止むを得ない結果であったとしても、亡文子が縫合不全を来たしやすいことは容易に予想できるのであるから、術後管理を担当する医師としては腹膜炎の早期発見に努め、発見した場合には悪化予防のため最大限の注意を払う義務があった。

しかるに、術後管理を担当した被告医師らは、手術直後から腹腔内に挿入したドレーンより継続的に多量の胆汁が排出されていたこと、亡文子が七月七日から腹部の痛みを訴え始めそれが増強していったこと、白血球数が継続的に高度の異常値を示していたこと、発熱が続き倦怠感が著明であり、頻脈状態になったこと、腸ぜん動が弱かったことなど縫合不全、腹膜炎の発症を疑うべき徴候が遅くとも七月八日ないし九日にはそろっていたにもかかわらず、これを見逃しまたは軽視して、腹膜炎が相当悪化した七月一三日になるまで気付かなかった過失がある。

仮に被告医師らが縫合不全腹膜炎の発症に気付いた時期が遅くはなかったとしても、当然速やかにドレーンを操作して排液状態の改善を図り、腹腔内の洗浄消毒をし、必要とあらば開腹再手術を行うなどの悪化予防の措置をとるべき義務があるのであって、しかも前述のごとく四本のドレーンのうち三本までもが完全には機能しない状態であったのであるから時期を逸せずドレナージのための開腹手術をする必要があったにもかかわらず、被告医師らは七月二〇日に至るまで便々として内科的治療に固執し、手術の時機を失した過失がある。のみならず、被告石川は七月一一日には坐位を、同月一三日には立位を指示していたものであるが、縫合不全、腹膜炎の発症に気付いてからも同月一七日に被告岩永の回診時に同被告の指摘によって中止するまで、漫然とこれを行わせ、吻合部の安静を乱して腹膜炎を悪化させた過失がある。

(四) なお前記(二)及び(三)で述べた被告医師らの注意義務は、センターが成人病の専門病院であり高度の診療を望んで来診した亡文子ら患者の期待に応えるべく一般病院よりより高度のそれを要求されているものである。

(五) したがって被告大阪府は民法七一五条に基づき、被告医師らは同法七〇九条、七一九条に基づき、被告医師らの前記過失によって生じた損害を賠償する責任を負う。

4  被告大阪府の債務不履行責任(予備的請求原因)

(一) 亡文子は昭和五八年六月一六日胆のう癌の疑いでセンターに入院した。これによって、亡文子と被告大阪府との間に胆のう癌の診察及び治療を目的とする診療契約が成立した。

(二) 被告大阪府は右診療契約に従って善良な管理者の注意義務をもって、亡文子に対し専門病院に相応しい適切な手術及び術後管理を行うべき債務を負っており、被告医師らは被告大阪府が診療契約上の債務を遂行するための履行補助者であるから、被告大阪府は民法四一五条に基づき被告医師らの前記注意義務違反(不完全診療行為)によって生じた損害を賠償する責任を負う。

5  因果関係

被告医師らの前記各注意義務違反によって、縫合不全、腹膜炎が発生、悪化したため、全身状態のよくない中で第三回の手術が必要となり、亡文子は、その手術後から呼吸機能・心機能が低下し、DIC(血管内凝固症候群)に陥るなど更に全身状態が悪化してしまい、七月二八日に縫合不全部から広がった二か所の空腸潰瘍部分から大出血を来たして、死亡したものである。直接の死因は、大量出血による肺水腫であった。

6  損害

(一) 亡文子に生じた損害

(1)  逸失利益 四二二万三四七九円

亡文子は死亡時六八才の無職の女性であったから、本件事故によって死亡することがなければその年齢の女子労働者の平均収入に相当する収入を得る能力があった。自動車損害賠償責任保険損害査定要綱(昭和五八年六月一日実施)別表IVの六八才の女子労働者の平均給与額から割り出される年間所得からその五割を生活費として控除して、亡文子の得べかりし利益の現価を新ホフマン式により計算すると四二二万三四七九円になる。

193万5600円×(1-0.5)×4.364=422万3479円

(年 収)(生活費控除)(新ホフマン係数)

(2)  慰謝料 二五〇万円

亡文子は手術後大変な苦痛の中での闘病生活を余儀なくされたうえ、無念のうちに死亡した。その精神的な苦痛を金銭に換算するとすれば二五〇万円が相当である。

(3)  相続

原告らは前(1) (2) 項記載の損害賠償請求権を法定相続分に従い(原告彦衛が二分の一、その余の原告らが各一四分の一)相続した。

(二) 原告らに生じた損害

(1)  葬儀費用 一〇〇万円(原告彦衛につき)

原告彦衛は亡文子の葬儀費用として少なくとも一〇〇万円を支出した。

(2)  慰謝料 各一〇〇万円(全原告につき)

原告らは本件事故により妻・母を亡くしたものであり、その精神的苦痛を金銭に換算すれば各自につき一〇〇万円が相当である。

(3)  弁護士費用 各二九万四八一五円(全原告につき)

原告らは本訴を提起遂行するために弁護士に委任せざるを得ず、証拠保全を含む弁護士費用として平等の割合で認容額の一五パーセントを支払うことを約した。

7  よって、原告らは、被告大阪府に対しては主位的には使用者責任による、予備的には債務不履行(不完全履行)による損害賠償請求権に基づき、被告岩永及び同石川に対しては不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき、前記損害の合計額及びこれに対する亡文子の死亡の日の翌日である昭和五八年七月三一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)(二)の各事実は認める。

3  同2(三)のうち、前記の手術の直後に出血のあったこと、同日午後八時一〇分から三五分にかけて、被告石川によって、手術が行われ、滅菌綿を挿入したこと、ドレーンはそのまま維持したことは認めるが、その余は否認する。

出血があったのは、肝管空腸吻合部ではなく、その周辺部である腹壁筋肉からのものである。また手術の内容として結紮止血は行ったが、止血剤注入は行っていない。

4(一)  同2(四)(1) のうち、亡文子の体温が別紙体温表記載のとおりであることは認めるが、その余は否認する。

術後の白血球数の推移をみれば、徐々に減少し、九日にはほぼ正常域の数値に復しかけていたことが窺える。また体温も術後順調に推移し、一三日までは最高体温も三七度五分以下の微熱に止まっていたのである。

(二)  同2(四)(2) のうち、亡文子の血糖値が別紙血糖値表記載のとおりであることは認めるが、その余は否認する。

亡文子は長期間糖尿病を患い、その間治療を怠っていたため、相当進行しており、血糖コントロールは困難な状態であったから、血糖値や尿糖値が高かったことをもって糖尿病コントロールが不十分であったとはいえない。患者の術前・術後の糖尿病コントロールは、患者の栄養代謝管理の状態を良好に保つことを最優先に実施しているところ、本件では術後の尿中ケトン体反応が常に陰性であり、これは栄養代謝が良好に行われていることを示しているものであって、糖尿病コントロールは奏功していたといえる。

(三)  同2(四)(3) のうち、被告らが前記腸ぜん動促進措置をとったことは認めるが、その余は否認する。

亡文子の腸ぜん動についても、七月七日に腸雑音、九日に排ガス、一〇日には緑茶色泥状便の排泄がみられるなど、良好な徴候が漸次あらわれてきたばかりか、一二日には自然色(褐色糊状便)少量が二度ばかり認められるようになるなど、その回復は順調であった。

(四)  同2(四)(4) のうち、〈4〉のドレーンの先端が空腸内に抜け落ちていたこと、別紙排液量表記載のとおりの排液があったこと、若干量の胆汁の漏出があったこと(多量ではない。)、亡文子が七月八日ころから痛みを訴えていたこと、同月一六日ころから発熱、下腹部膨隆、腹部痛があったこと、体温が別紙体温表の値を示していたことは認めるが、その余は否認する。

〈1〉のドレーンは左肝管・空腸吻合部に縫合不全が生じた場合に漏出する胆汁を排出して悪化を予防する目的で置き、〈2〉のドレーンは縫合不全が生じた場合の悪化予防とともに肝切除面から必然的に出る胆汁を排出して縫合不全そのものを防止する目的であり、〈3〉及び〈4〉の各ドレーンは胆汁を対外に排出することにより吻合部に内圧がかかるのを防止する目的であった。〈1〉のドレーンは確かに先端が左上方に移動はしていたものの、腹腔内に漏出した排液を十分ひろっていたものであり、七月一三日まで排液が認められなかったのは縫合不全が生じていなかったからに外ならない。〈2〉のドレーンに七月一〇日から排液が認められなくなったのは肝切除面の治癒によって排液が止ったためであり、機能しなくなったのではない。なお、七月一六日に至って〈2〉のドレーンを移動させ、排液を得たのは右肝管・空腸吻合部には縫合不全が起こっていないと判断して、既に縫合不全の生じていた左肝管・空腸吻合部から流出する胆汁のうち〈1〉のドレーンで取り切れない液を排出する目的で行ったものである。〈4〉のドレーンの先端は空腸内に抜け落ちていたが、それでも腸管内の減圧には有用であり、また第三回手術時の七月二〇日までには右肝管・空腸吻合部には縫合不全は生じなかったものであるから、〈4〉のドレーンの機能不全と腹膜炎の発症との間には因果関係がない。

亡文子に腹部痛があったのは、七月八日から亡文子に対し腸ぜん動促進の処置がとられたため腹部の痛みが必然的に伴ったものにすぎず、右処置は奏功し、前記のごとく同月九日には排ガス、同月一〇日には排便があるなど容態は順調に回復していた。

(五)  同2(五)のうち、腹腔内に膿が貯留していた点は否認し、その余は認める。

(六)  同2(六)のうち、七月二八日に突然吐血及び下血があったこと、その後輸血が行われたこと、亡文子が主張の日時に肺水腫を直接の原因として死亡したことは認め、その余は否認する。

第三回手術後、亡文子の状態は徐々に改善されておった。剖検所見によっても腹膜炎は極めて軽度であった。

5  同3(一)のうち、過失診療を行った点は否認し、その余は認める。

同3(二)のうち、亡文子が縫合不全を来す危険の高いことが予測されていたこと、被告医師らに縫合不全の予防に最大限の注意を払う義務があったことは認めるが、その余は否認する。

糖尿病コントロールについては前述のとおり功を奏していたといえる。

また感染防止対策としては手術前日に抗生物質を二度にわたって投与したものであるが、亡文子の術前の白血球数は正常であったからこれで十分であり、過剰な抗生物質投与はかえって耐性菌を生む危険がある。

ドレーンについては前述のとおり機能不全はなく、被告らに過失もない。

同3(三)のうち、医師に腹膜炎の早期発見及び悪化予防のため最大限の注意を払い措置をとる義務があったこと、手術後若干量の胆汁の排出があったこと、亡文子が痛みを訴えることがあったこと、白血球数が高値を示していたこと(白血球数は別紙白血球数値表2記載のとおりである。)、七月一六日ころから発熱があったこと、主張の日時に亡文子に坐位や立位をとるよう指示したことは認め、その余は否認する。

被告医師らは、亡文子が強度の糖尿病であったため当初から縫合不全及びそれを原因とする腹膜炎等の余病の併発を怖れ、亡文子の容態を注意深く観察するとともに、術前の糖尿病の治療、腸ぜん動促進措置、ドレーン操作による排液排出の促進等の様々な予防措置をとってきた。これらによって亡文子の容態は手術後順調に回復していた。もっとも、別紙白血球数値表2記載のとおり、術後徐々に減少していた白血球数は七月一一日には急増しているが、同時に血中ピリルビン値、アルカリフォスファターゼ値も平行して急増している(同表記載のとおり)ことからみて、これは腹膜炎が発生したためではなく、胆管炎が起こったためと考えられる。また、亡文子は腹痛を訴えることはあったが、これは前述のごとく腸ぜん動に必然的に伴うものであって、それも七月一一日には軽度になり、一二日には鎮痛剤なしで自制できる程度になっていた。

その後胆管炎は治癒していったが、七月一三日ころになって左肝管・空腸吻合部に縫合不全が発生し、同日腹部X線撮影によってこれが明らかになり、その後の発熱等の症状と総合勘案して腹膜炎の発症が診断された。これに対して、被告医師らは亡文子の容態等を考慮したうえ、まず危険性の高い再手術よりも負担の少ない内科的治療方法を選択し、抗生物質並びに鎮静剤の投与、酸素吸収、排液促進、胃吸引、排ガス等の処置を施し一旦は容態は持ち直すかに見えたが、同月二〇日には体温が下がらず腹満・腹痛が著明になり腹水も認められたので、腹膜炎治療の目的でドレナージ手術(第三回手術)に踏み切った。そして腹膜炎はほぼ治癒したのであるが、同月二八日亡文子は突然に消化管より出血し、結局死亡するに至った。これは現代の医療水準に照らせばやむを得ない結果である。

このように、被告医師らが腹膜炎の発症を見逃したことは絶対にあり得ないし、これに対してはできる限りの悪化予防措置をとっていたものであり、事実腹膜炎はほぼ治癒していたことからみても再手術の時期は適切であって遅きに失したということはあり得ない。坐位・立位を指示したのは腸ぜん動促進措置の一環であって問題はなく、これによって吻合部の安静が乱されたことはない。むしろその結果ドレーンの排液の状態もよくなったのである。

同3(四)のうち、センターが成人病の専門病院であることは認め、その余は否認する。

同3(五)は争う。

6  同4(一)の事実は認める。

同4(二)のうち、被告大阪府が亡文子に対し適切な診療を行うべき義務を負っていたこと、被告医師らが被告大阪府の履行補助者であることは認めるが、その余は否認する。

7  同5のうち、七月二八日亡文子が大量の消化管出血により死亡したこと、直接の死因が肺水腫であることは認め、その余は否認する。

8  同6の事実はすべて否認ないし不知。

第三証拠〈略〉

理由

一  本件事故発生に至る経緯について

1  請求原因1の事実及び同2(一)、(二)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実と〈証拠略〉を総合すると、次の各事実を認めることができる(一部に争いのない事実も含む。)。

(一)  本件当時被告岩永はセンターの第一外科部長を勤め、被告石川は第一外科に所属する医師であった。第一外科は消化器外科であり、両名とも消化器外科専門で、被告岩永は豊富な経験を、被告石川もかなりの経験を有する医師である。

(二)  亡文子は腹部に異常を訴えて昭和五八年五月二〇日ころに東大阪市立中央病院に入院し、久下医師の診察を受けてきたが、久下医師は胆のう癌の疑いを持ち被告石川に相談したところ、同年六月初旬に同女を往診した被告石川も同じ疑いを持った。

久下医師及び被告石川らはこれに対して適切な医療を行うには人員や設備の整ったセンターの方が適当であると考え、同年六月一六日亡文子をセンターの第一外科に入院させ、被告石川が主治医として担当することになった。被告岩永は第一外科部長として随時被告石川の相談に乗り指示するほか、ときには直接亡文子を診察するなどして治療に関与した。このほか、当時第一外科で研修医をしていた中森医師も被告石川の指導の下に亡文子の診療にあたることがあった。

(三)  センターにおいて更に詳しい検査等を行った結果、亡文子が胆のう癌である疑いは一層深まり、しかもかなり進行しており肝臓をも浸潤しているらしいことが判明した。また、亡文子は一〇年以上前から糖尿病にり患しており、それは糖負荷試験によってもインシュリン分泌が低く血糖処理がうまくいかない程度にまで進んでいるものであること、血液検査によれば炎症を起こしている所見もあることなどもわかった。

被告医師らはこの結果を踏まえて同年七月二日に手術を決定し、被告石川は、同日原告彦衛や原告中村文治らに対し、「胆のう癌である疑いが九〇パーセントくらいある。胆のう摘出の手術が必要であるが、場合によれば肝臓・すい臓の切除も要するかもしれない。肝臓・すい臓を切除する場合は手術そのものによって死亡する危険が五〇パーセント程度あり、肝臓のみ切除する場合でも同様の危険が三〇パーセントある。」旨を約三〇分かけて説明したうえ、原告彦衛から手術承諾書を受領した。一方、亡文子本人には慢性胆のう炎で手術する旨を説明した。

(四)  被告医師らは糖尿病のコントロールのため六月三〇日からインシュリンを、また感染防止のため手術前日の七月四日に抗生物質を亡文子に投与したうえで、七月五日に手術を行った。ただし、亡文子のインシュリンに対する反応は悪く、著明には血糖値は下がらなかったが、術前の尿中ケトン体反応は陰性となった。

開腹したところ、癌は胆のうから肝臓・総胆管にまで浸潤しており、リンパ節への転移もあり、ステージIVと呼ばれる末期的段階であったが、かろうじて根治的に手術できる程度であった。手術の内容は、胆のうを摘出し、肝臓の一部及び総胆管を切除し、リンパ節を郭清して、肝臓で生産された胆汁を消化管内に流し込むため空腸を途中で切断し下の部分を持ち上げて肝管と吻合し、空腸の上の部分を下の部分の途中に吻合する(ルーY型吻合術)というものであった。

その際、胆のう炎を肉眼で確認することができたが、胆管や肝管の炎症の有無はわからなかった。

そして〈1〉肝管・空腸吻合部左、〈2〉同右、〈3〉左肝管内、〈4〉右肝管内に計四本のドレーンをおいたが、その目的は、〈3〉及び〈4〉の肝管内のドレーン(スプリント・カテーテル)については胆汁を外に出し吻合部に内圧がかからないようにし縫合不全を防止すること、〈2〉のドレーンについては胆切除面から漏出する胆汁を排出することで縫合不全を予防し、また〈1〉及び〈2〉のドレーンについては万一胆汁が吻合部から漏れてきた場合これを排出することによって縫合不全の悪化等を予防することであった。

(五)  第一回の手術が終了した直後にドレーンから出血がみられたために、被告石川らは危険なものでないかを確かめるために再度開腹したが、それほど危険なものではなかったので止血処置のうえ閉腹した。

(六)  術後のドレーンの排液状況は別紙排液量表記載のとおりであった。当初、〈2〉の吻合部右のドレーンから胆汁色の排液が多量に出ていたが、これは一〇日ころから激減した。また、〈4〉の右肝管内のドレーンからは排液がほとんどなく、被告医師らはこれはドレーンの先端が空腸内に移動してしまったためであると考えた。

被告医師らは、亡文子が縫合不全を起こし、これによって腹膜炎等になることを心配し、その予防のために(1) 栄養の管理、(2) 感染の防止、(3) 腸ぜん動の促進、(4) 糖尿病の管理などに留意した。

特に、胆汁の排出をよくするために腸ぜん動の促進には力をいれ、七月七日に下腹部温湿布、同月八日から熱気浴、浣腸、薬剤の投与等の措置を始め、同様の目的から同月一一日からは坐位を、一三日からは立位を指示した。これらの措置は効を奏し、同月九日には排ガスが、翌一〇日には浣腸に反応した排便があり、一二日には自然便があるなど同月一三日まで亡文子の容態は順調に回復するかに見えた。

また、インシュリンの投与も続けられ、血糖値や尿糖値は高値を示していたが、尿中ケトン体反応は常に陰性であった(術中、術後の血糖値は別紙血糖値表記載のとおりである。)。

もっとも、同月九日には正常に戻った白血球数が同月一一日には急増したが、同時に血中ビリルビン値やアルカリフォスファターゼ値も上がっている(詳細は別紙白血球数値表2記載のとおり)ことから、被告医師らは胆管炎(実際の炎症の部位は肝管であるが、慣用的にこう呼ばれる。)の発症を疑った。

また、亡文子は同月八日ころから腹部の強い痛みを訴えるようになったが、被告医師らはこれは腸ぜん動の開始に必然的に伴う痛みであると考え、重大視はしなかった。同女の腹痛は同月一一日、一二日ころにはかなり軽減していた。

(七)  同月一三日に〈3〉のドレーンから造影剤を注入してX線撮影を行ったところ、左の肝管・空腸吻合部からこれが漏れて〈1〉のドレーンから排出されていることが判明し、被告医師らは、発熱(術後の詳細は別紙体温表記載のとおり)等その他の所見とも合わせてこの部分の縫合不全によって局所性の腹膜炎が生じていると判断した。また、同時に〈1〉のドレーンの先端が左上方に移動していることもわかった。翌一四日には〈3〉のドレーンから青い色素であるインジゴカルミンを注入したところ、一五日になって〈4〉のドレーンから少量の色素の排出はあったが、それ以上の排出は認められず、大きな漏れがあるとは思われなかった。

被告医師らは腹膜炎に対してまず内科的な治療を試みることとし、漏出する胆汁の排出を容易にするためドレーンのミルキング(かくはん)の回数を増やす、ドレーンの吸引や位置の移動を行うなどの措置をとった。これによって、排ガス・排便も続き、同月一六日には〈2〉のドレーンを移動するなどしたところかなり多量の胆汁様膿の排液があるなど、一応の成果は挙げた。

しかし、一方では発熱が続き白血球数も高値を保つなど、効果は不十分であり、被告医師らは同月一六日ころから外科的治療の可能性も考慮し始め、同日原告彦衛ら家族にもその旨を説明した。もっとも、前記のごとく同日行ったドレーン操作でかなり多くの排液を得られたし、一七、一八日には熱の上りもやや下降し、亡文子の様子も少し改善がみられたので、直ちには患者への侵襲の大きい手術に踏み切らなかった。なお、同月一八日には被告岩永が回診で腹部を動かさないよう指示したため、坐位や立位は中止された。

(八)  しかし、同月二〇日になっても、亡文子の発熱・全身状態がいまひとつよくならず、腹痛も少し強くなってきたため、被告医師らは同月二〇日朝ドレナージ手術を行うことを決断し、原告彦衛らにその旨を伝えた。

同日手術は行われたが、開腹したところ、下部腹腔に約三〇〇/ミリリットルの透明な腹水が、空腸・肝管吻合部の左に黄色膿と胆汁流出があることなどが確認された。被告医師らはこれらの腹水や膿などを取り除き、全部で一一本のドレーンを挿入して手術を終了した。このときにも、胆管炎の有無を肉眼で確認することはできなかった。

手術後、亡文子の容態は、手術による侵襲があり、浮腫が生じたり呼吸機能も改善されなかったりで全身状態は悪かったが、同月二四日ころから、排ガス・排便が再開し、浮腫も軽減しだし、呼吸障害にも改善の兆候が見られ、もち直し回復傾向に推移するかにみえた。

(九)  同月二八日午前四時ころ、亡文子は吐血、下血及びドレーンからの出血を始め、翌二九日午後八時ころに一応おさまるまで、合計約三万ミリリットルの出血をみた。被告石川らは輸血や止血剤投与等の措置をとったが、亡文子はこの出血が原因で肺水腫を併発し、同月三〇日に死亡した。

(一〇)  死亡後、センターでは遺体を病理解剖したが、その結果左右の空腸・肝管吻合部周辺にかいようができていることがわかり、出血はここから生じたと思われた。一方、腹膜炎はほとんど治癒していた。その他に病理検査の結果胆管炎が認められた。

以上の各事実を認定することができる。

3  〈証拠略〉中前項の認定事実に反する部分はいずれも措信しがたく、その他に前項の各認定事実を覆すに足る証拠はない。

二  被告大阪府の使用者責任及び被告医師らの不法行為責任について

前記一認定の各事実を前提にまず被告医師らに過失があったか否かを検討する。

1  術後縫合不全及び腹膜炎を発生させた過失

術前から亡文子が縫合不全を来す危険性の高いことが予測されており、これを予防すべく最大限の注意を払う義務があったことには当事者間に争いはない。その点につき、原告らは具体的には糖尿病コントロール、感染防止対策、ドレーンの機能維持を図る注意義務があったにもかかわらず、被告石川らの措置は右三点において不十分であったと主張するので以下順次これを検討する。

(一)  糖尿病コントロールについて

〈証拠略〉を総合すると、確かに糖尿病患者に対して外科手術を行う場合には術後合併症を起こし易く、治療もしにくいなどの問題点があるので、手術前には各種検査によって患者の糖代謝状態を把握の上、必要とあらばインシュリン等の投与により糖代謝を適切にコントロールしてから手術を行い、術後も同様のコントロールが必要である、しかしその基準を設けることは難しく、結局術直後から回復期までの数日間はケトージス(血中又は細胞外液中にケトン体の増加した状態)や低血糖さえ起こさなければ足りるものといわれていることが認められる。

この点前記一2(三)、(四)及び(六)認定のとおり、亡文子の場合、その糖尿病は高度で、糖負荷試験によってもインシュリン分泌が低く、インシュリンを注射しても反応が少ない状態であったが、被告石川らが六月三〇日からインシュリン注射を始めた結果、尿中ケトン体反応は陰性になり、また、第一、二回の手術後においても、別紙血糖値表記載のとおり血糖値は三〇〇mg/デシリットル前後のことが多く尿糖値も高かったものの、尿中ケトン体反応は常に陰性であった。〈証拠略〉及び弁論の全趣旨を総合すると、尿中ケトン体反応が陰性であることは糖代謝が一応行われていることを示しており、術後には一度低血糖状態になったがすぐ回復したうえ、トケージスは起こさなかったことが認められるから、被告石川らが施した糖尿病コントロールは必ずしも不十分であったとはいえない。もっとも原告らは血糖値や尿糖値が高いことをもって糖尿病コントロールが不十分であったと主張するが、しかしながら、前述のように亡文子の糖尿病が高度でインシュリンにも反応しにくかったことからすれば、前記の程度にまでなれば糖尿病コントロールが功を奏していなかったと断ずることはできないし、更に亡文子の患っていた疾病が進んだ胆のう癌で早急に患部を手術で除去する以外に救命の道がなかったことをも考えると、被告医師らが前記程度のコントロールの下で本件手術に踏み切ったことに過失があったということはできないものと判断される。

(二)  感染防止対策について

〈証拠略〉によれば、感染の防止は縫合不全の予防にとって大きな意味を持っており、そのため具体的には栄養状態を良く保つこと、手術直前に腸管を空虚にしておくこと、抗生物質を投与することなどの必要があると認められる。

前記一2(四)認定によれば被告石川らは手術前日から抗生物質の投与を行っており、そのほかにも前掲各証拠によると高カロリー輸液や手術前の浣腸などを実施していることが認められ、これらによると一応感染の防止に注意していたことが窺われる。この点、原告らは抗生物質投与を手術前日から始めたのでは不十分である。術後に白血球数が高値を示し続けたのは感染防止が不十分で奏功しなかった証左であると主張するが、前記一2(三)認定の事実及び〈証拠略〉等によれば手術前の亡文子の血液検査の結果炎症所見はあったものの(第一回手術時に胆のう炎が確認されている。)抗生物質の投与なくして白血球数はなお正常であることが認められ、術前の過剰な抗生物質の投与は耐性菌を生み出す危険があることと合わせ考えると、手術前日から投与を始めたことが不十分であるとは考えられない。もっとも、前記認定の別表白血球数値表2記載のごとく術後白血球数は七月九日を除いて高値を示しており、これは感染の事実を示すものではあるが、細菌は人体にも常在するものである以上感染を完全に防止する手立てはなく、ただ抗生物質の投与等によってその危険を減少させることができるだけであり、被告医師らはこれらの手段をとっていたのであるから、右感染の事実をもって直ちにその防止に手ぬかりがあったということはできない。

(三)  ドレーンの機能維持について

ドレーンの排液状況については、〈4〉のドレーンからは排液がほとんどなく、これは肝管内に留まっているべきドレーンの先端が空腸に移動してしまったためであると推測されることは前一2(六)のとおりであるが、前記一2(四)認定のごとくこのドレーンは右肝管・空腸吻合部に内圧がかからないようにする目的であったところ、排液がうまくいかなかったためにかかる機能を果たせず内圧が高まり不都合をおこしたと認めるに足る証拠はない。かえって前記一2(七)、(八)の各事実と〈証拠略〉によれば、七月一三日のX線撮影(ただし〈3〉のドレーンから造影剤注入)では右肝管・空腸吻合部には漏れは認められず、第三回手術の際に左肝管・空腸吻合部周辺には黄色膿と胆汁漏出があったが、右には胆汁漏出がなかったと認められるのであるから、第三回手術の時点までは右肝管・空腸吻合部には縫合不全はなかったと推認するのが自然であり、そうだとすれば右肝管・空腸吻合部における縫合不全の原因は〈4〉のドレーンの不調ではないという帰結にならざるを得ない。

また、当初〈1〉のドレーンからの排液が少ないのは、このドレーンは縫合不全が起こった場合の悪化予防の目的で挿入されていたにすぎない(前記一2(四))のであるから当然のことであるともとれるし、更に〈2〉のドレーンからの排液が七月一〇日ころから減少していったのも、その時期からみて肝切除面の治癒に基づくものである可能性が大きく、ドレーンの不調によると断定することはできない。

一方、前掲各証拠によれば、若干の胆汁等のうっ滞が生じていたことは明らかであり、更に〈1〉のドレーンは七月一三日のX線撮影によって先端が左上方に移動していることが判明したため適当な位置に入れ替えたが、なおも同月一五日にドレーンが屈曲していることがわかったなどの事情も認められ、このような事情が胆汁等のうっ滞に寄与していたことは十分推測できるが、ドレーンの操作は手探りであるからある程度の位置の不具合や屈曲が生じても致し方のない場合もあり、胆汁や膿の滞留があったからといって直ちにこの点をもって過失ということはできない。そして、前記一2(七)認定によれば腹膜炎の発症が明らかになった七月一三日以後、被告石川らはドレーンのミルキングの回数を増やしたり、持続吸引したり、あるいは先端の位置を動かすなど排液を十分にすべく努力を払っており、実際同月一六日以降には〈1〉ないし〈3〉のドレーンからかなり多量の排液を得ることに成功していることも認められ、これらによればドレーン操作に手抜かりがあったとまではいうことができない。

(四)  以上のごとく、原告主張の、被告医師らにおける縫合不全、腹膜炎発生についての過失は、いずれも認められないが、この点は、前記一2(三)及び(四)認定の事実と〈証拠略〉によって認められる次の諸事実、つまり、

(1)  縫合不全は、術後合併症の中でもっとも外科医を悩ませるものの一つで、手術手技、術前術後の管理の向上、麻酔の進歩にかかわらず、この発症を皆無にすることができないのが現状であること、

(2)  肝管、総胆管、肝門部空腸吻合術を行った症例の二割五分以上に縫合不全がみられるという報告があり、特にその中でも肝門空腸吻合の場合は技術的に困難であること、

(3)  高齢者、高度に進行した癌患者は縫合不全の発生頻度が高いこと、

(4)  亡文子の糖尿病は高度で相当長期間コントロールができていなかったため、亡文子には術前から糖尿病疾患の特徴である血管障害、感染に対する抵抗力の減衰、治癒力の低下が相応に進行していたはずであること、

(5)  亡文子には、術前から胆管炎があって、治癒起点に障害があった可能性が強いこと、

以上の諸事実をも合わせ考慮すれば、術後縫合不全、腹膜炎を発生させた点につき、被告らに過失を認めることはできないことが、更に裏付けられる。

2  縫合不全と腹膜炎の発生に気づかず、または軽視してこれを放置した過失

(一)  前記一2(七)認定によれば、被告石川らは七月一三日に行ったX線検査によって初めて腹膜炎の発症を確認したのであるが、原告らは、遅くともそれ以前である七月八日ないし九日には縫合不全腹膜炎の発症があり、被告医師らはこれに気付くべきであったと主張するので、検討する。

確かに、前記一2(六)のとおり、胆汁色の排液があったし、亡文子が七月八日ころから腹部に強い痛みを訴え出したし、白血球数や体温がなかなか下がらなかったこと等の事実を認めることはできる。

しかしながら、前記一2(四)、(六)認定の事実から明らかなごとく、右時点で胆汁が排出されることは肝の一部を切除してほどないときである以上当初から予定されていたことであったし、痛みを訴え出した時期は腸ぜん動促進措置を取り始めた時期とほぼ一致するから腸ぜん動に伴う痛みであった可能性が強く、これらは手術直後である七月八日ないし九日ころの腹膜炎の発症を断ずる根拠とはなりえない。また、亡文子の体温の点も、術直後の高熱が下降した後再度四、五日後に発熱したが、一三日ころまでは三七度台前半に止まっていた(別紙体温表のとおり)。更に白血球数も別紙白血球数値表2記載のとおり九日までは減少を続けて九日には正常値になっていたのであって、これらの亡文子の容態は、その手術がかなり大がかりであったことからするとむしろ順調な推移であったとも考えられ、未だ縫合不全、腹膜炎の発症を疑うべき十分な根拠とはなりえない。

確かに、七月一一日には白血球数が急増しているが、前記一2(六)認定の事実及び〈証拠略〉によればこれと平行して胆管炎の症状であるビリルビン値やアルカリフォスファターゼ値も増加しており、かつ、死後の病理検査では胆管炎が確認されている(同(一〇)点をも考慮すれば、このときには亡文子は胆管炎を起こしていたものと推認される。仮に七月一一日ころ縫合不全、腹膜炎が始まっていたとしても、被告医師らがこれらの検査結果からもっぱら胆管炎を疑い、縫合不全、腹膜炎が発症したものとは考えなかったとしても、やむを得なかったものと思われる。

以上の事実に加え、前記一2(六)認定のとおり、七月九日には排ガスが、翌一〇日には浣腸に反応した排便が、一二日には自然便があるなど腸ぜん動も順調で、腹痛も一一、一二日にはかなり軽減しているので、これら事実を合わせ考慮すれば、七月一三日までは縫合不全、腹膜炎が疑われるような状況ではなかったというべきであって被告医師らに縫合不全、腹膜炎の発見が遅延した過失を認めることはできない。

(二)  更に、原告らは、被告石川らが腹膜炎の発症に気付くのが遅くはなかったとしても、悪化予防の措置をとるべき義務を怠り、結局縫合不全、腹膜炎を悪化させてしまったと主張するので、この点についても判断する。

(1)  原告らは四本のドレーンのうち三本までが完全に機能しない状態にあったから早急に再手術する必要があったと主張するが、前述二1(三)で述べたように、〈4〉のドレーンの先端が空腸内に抜け落ちていたと考えられたものの、そのために縫合不全を引き起こした事実は認めがたく、〈1〉のドレーンの先端が左上方にあったり屈曲が生じたりしていたものの、これは七月一六日には是正されたことが窺われるし、その外にはドレーンの不調を認めるような事情は窺われず、結局原告らが主張するほどドレーンが働いていなかったものとは未だ認め難い。

そして、前記一2(七)認定のごとく、腹膜炎が局所性のものと考えられ、漏出した胆汁がドレーンによって排出され(特に七月一六日以降)ており、しかも再手術は患者の年齢疾病その他の諸条件を考えると負担が大きいことなどを総合すると、被告医師らがまず内科的治療を試み様子をみることにしたのはむりからぬ選択であったといわざるをえない。事実、ドレーン操作や抗生物質の投与による内科的治療法により七月一七、一八日ころには亡文子の容態に一時改善の傾向もみられていたこと、同月二〇日に再手術に踏み切ったがまだ腹膜炎はそれほどの状態ではなかったこと、解剖時に腹膜炎はほとんど治癒しているとの所見があったこと等の事情が前記一2(七)、(九)、(一〇)の認定各事実から窺われ、これらによれば、結果的にも縫合不全、腹膜炎を発見してからの治療方法の選択や再手術の時期の判断に落度があったものとは認めがたい。

(2)  原告らは同月一三日に腹膜炎が発見されたのに同月一七日まで亡文子に坐位や立位をとらせたことが病状を悪化させたと主張するが、前記一2(六)認定のとおりこれは腸ぜん動促進措置の一つであって腸ぜん動を促進することは胆汁の排出をよくして腹膜炎の改善にも一定の効果があると認められるし、また〈証拠略〉によれば亡文子のような高齢者・糖尿病患者では血栓の発生を防ぐためにも一層早期離床の必要性が高いと認められ、この点も合わせ考慮すれば原告らの主張は採用することはできない。確かに坐位や立位などの術後の措置が亡文子にとって相当なストレスとなり吻合部の治癒にマイナス方向の力として働いたことは十分推測することができるが、現代において胆のう癌の根治的な治療法は手術しかありえず、坐位や立位をとることが術後に必要不可欠な腸ぜん動促進手段の一つであったなどの事情を考慮すると、これもまたやむを得ないところであったというべきである。なお、同月一八日に被告岩永が安静を命じたのは、この日までの亡文子の容態全体を資料にして総合判断した結果であって、それ以前の段階においても安静が必要であったことを示すものとは未だ認めがたい。

3  なお原告は被告医師らの前述各注意義務が専門病院の医師に課せられているより高度なものである旨主張する。もとより注意義務の内容は、その事案の具体的事実関係の下において通常の医師としてどの程度の注意を盡くせばよいかという観点から判断される優れて個別的判断であって、本件中の注意義務の存否、内容についても、前記一2(一)ないし(三)認定のごとく被告医師らが成人病専門病院であるセンターの消化器外科の医師としてその置かれた地位・環境・設備・スタッフ等の諸事情の中で前記の事案につきどのような注意義務を負っていたかを判断したものであることを付言する。

4  以上の検討によれば、被告医師らに原告らが主張するような過失があったとは認めることができない。

してみれば、その余の点について判断するまでもなく、原告らの、被告医師らに対する不法行為責任に基づく損害賠償請求権はもとより、その使用者たる被告大阪府に対する使用者責任に基づく損害賠償請求権も存しないことになる。

三  被告大阪府の債務不履行責任について

1  請求原因4(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  同4(二)のうち、被告大阪府が亡文子に対し適切な診療を行うべき債務を負っていたこと、及び、被告医師らが被告大阪府の履行補助者として亡文子の診療にあたったことは当事者間に争いがない。

しかしながら被告医師らが行った右診療行為には前記二の判断から窺われるごとく、不完全履行(客観的注意義務違反)の事実が認められないので、その余の点について判断するまでもなく、結局原告の被告大阪府に対する債務不履行責任に基づく損害賠償請求権(予備的請求)もこれを認めることができない。

四  結論

よって、本訴請求(被告大阪府に対する予備的請求を含む。)はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 笠井達也 裁判官 金光健二 裁判官 中垣内健治)

別紙〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例